2023年12月12日(火)、東京において当協会主催のハヌカパーティーが開催されました。当日の様子はJIFA会員向けにお配りしている広報誌「イスラエル」1・2月号でもご紹介しておりますが、ウェブサイトでもあわせてご紹介をいたします。

ハヌカの催しを都内で開催

12月12日(火)の夕に、東京広尾のJCJで、ギラッド・コーヘン駐日イスラエル全権大使等が参加されて、ハヌカの催しが行われた(広報誌ISRAEL 1・2月号参照)

注: ハヌカは紀元前165年に、異教徒のギリシャ人に占領されていたエルサレムをユダヤ人が奪還し、宮清めを行った故事に由来する祭り。

当日のG.コーヘン大使のメッセージ

本日は、イスラエルから拉致被害者のご家族を迎え、親善協会の理事、監事、会員のみなさまとハヌカを祝う催しに参加できることをうれしく思います。ハヌカは本来、自由の祭り、光の祭り、独立を祝う祭り、幸せの祭りです。例年はハヌカを幸せな気分の中で祝っていましたが、今年のハヌカは例年とは違います。イスラエルの人々が、世界中のユダヤ人が、深い苦しみと、悲しみの中に沈んでいます。朝起きてから床に就くまで、一日中胸にぽっかり穴が開いたような、息苦しい状態です。10月7日に起こされたあの蛮行に対して、国全体、民族全体が怒りを発しています。拉致された人たちの家族は、いま自分たちの家族がどこにいるのかも分からないまま、不安な日々を過ごしています。こんなにつらいことは、人生にありません。

今週、国防軍の兵士たちが、ガザの戦場でハヌキア(燭台)をともしている様子を見ました。ロウソクにともされた明りが拉致された方々に、その子どもたちに、兄弟姉妹に、両親に、祖父母に届きますように。彼らを取り戻すことに、つながりますように。

今日ここにおられる拉致被害者のご家族は、二日前の10日の日曜日に来日されました。上川外務大臣や国会議員に会っていただき、昨夜は東京タワーの下でのハヌカの催しに参加されました。今日は日本赤十字社の代表にも会いました。私は、外務省に職を得て以来、外交官としてこれほど苦しい経験はしたことがありません。大変な中を訪日してくださった、拉致被害者のご家族の心情を察するとき、彼らの勇気に感嘆します。

拉致被害者の家族のことばを聞き、涙を流され、同情し心を動かされた日本の指導者の方々に、心から感謝します。また今日は、非常に大きな記者会見をもちました。出席された記者の方々も関心を示され、友好的な雰囲気のなかで会見が進みました。明日はG7の国々の大使とお会いします。このように、日本がしてくださったこと、イスラエルを支持し、イスラエルと共に立って、拉致被害者の即時無条件解放を主張されていることに深く感謝します。

日本政府は、イスラエルと連帯し、テロ集団ハマスの残虐行為を非難し、イスラエルの自衛権を完全に認め、ガザで行っていることも認めておられます。これらは、私共にとって本当に大切です。

先ほどまで私共は、国連大学の前で持たれた被害者の救出を訴える集会に出席していました。エマニュエル駐日アメリカ大使も共に立ってくださいました。実際の私には弟はいませんが、彼(エマニュエル大使)を実の弟のよう感じます(笑)。今日は共に並びながら、彼の強い気持ちを感じました。国の内外で、彼はいつもイスラエルを応援してくれます。ちなみにバイデン大統領は、トルーマン以来、もっとも、心からイスラエルに寄り添ってくださる方のように感じます。

私はキブツ・ナハロムで結婚しました。妻はナハロムの出身です。子どもたちは、いとこを訪ねる度に、そこで遊んでいました。ですから、殺害された方々、拉致された方々の多くを私は存じています。このように育った息子二人は、今回予備役から招集され、今ガザ地区におります。携帯電話が使えない状態ですので、彼らがどうしているのか私共は分かりません。ひとりはベングリオン大学で薬学を学び、他方はヘブライ大学で、経済学を学ぼうとしていました。

ただ彼らは、自分たちが今しなければならないことが何かを、はっきり理解していました。彼らに与えられた神聖な義務は、とらわれた方々を取りもどすことです。ハマスが、二度とこのようなことを起こさないように、今行動を起こさなければならない。彼らは若すぎますが、彼らが国民を見捨てることはありません。彼らは招集令状に即応しました。

イスラエルにいる者だけでなく、世界中のユダヤ人が自分たちに課せられた義務を理解しています。イスラエルの友人にこのことを知っていただきたいのです。また今までなかったほどに、私共は友人(イスラエルの友)を必要としています。私は、心から、拉致被害者を家に取り戻すことを願います。

10月8日まで、日イの間には、経済的なやり取りも、人的交流も、各界の方々の行き来もありました。イノヴェーションも、観光も、日イ間の一層の深化と、さらにしっかりした関係構築を願ってきたのですが、今は暗い状況にあります。しかし、私たちは必ずこの状況を克服します。これからも、両国は関係を進めて、深めて参ります。戦争が終われば、両国の関係は元に戻ります。拉致被害者が家に戻れるように、今後もご支援をお願いいたします。

拉致被害者の家族 イディット・オヘルさんのメッセージ

私は拉致被害者のアロンの母です。拉致されてから、もう66日も過ぎてしまいました。わたしたち家族は、とてもつらい状況にあります。それはわが家だけではありません。それぞれの家族がもがき苦しんでいます。拉致被害者を取り戻すために、1時間、24時間、1週間、1か月、過ぎた66日間に、できる限りのことを尽くしてきました。

ピアニストの彼にとっても、私たち家族にとっても、音楽はとても大切なものです。なぜなら、音楽は私たちを支え、強めるからです。音楽は世界に通じる共通言語のはずです。今日は皆さんのためにも、自分自身のためにも、彼の代わりに「風に立ち向かう」を弾き、ヘブライ語で歌います。皆さんが、これからも生きるためにエネルギーを持ち続け、共に団結することを信じます。
(ピアノ演奏開始)

尚、拉致被害者エラ・ゼカリヤさんのご親族は、ハヌカの催しが開催された当日に(日本時間で当日の真夜中から未明にかけて)、「ガザでエラさんのご遺体が発見された」という悲報をイスラエルから受けられた。「ハヌカの奇跡が再現されることを信じます」と再会を心待ちにしておられただけに、ご親族は悲嘆に暮れられた。エラさんは誰にも好かれる明るく愛らしい女性だった。ご親族は、葬儀のため急遽日程を切り上げて翌日イスラエルに帰国された。

拉致被害者家族の参考資料

ハマスに拘束されている人質家族代表団の訪日(2023年12月11日~14日)

10月7日、ハマスによるテロ攻撃により、244人のイスラエル人と外国人(幼児、子供、女性、高齢者を含む)がイスラエルからガザ地区へ拉致されました。イスラエル国防軍の作戦および関係各国や機関の協力により、人質の一部は解放されました。しかし、ガザ地区にはまだ137人の人質が拘束されています。人質全員の返還はイスラエル国家として至上の義務であり、この件に関する政府の情報提供活動の一環として、人質家族の代表団が12月11日から14日にかけて来日します。大切な家族の帰宅を待つ方々の声に耳を傾けていただけると幸いです。

代表団の詳細

  1. ディアスポラ問題・反ユダヤ主義対策省(戦略部門シニアディレクター)
  2. ディアスポラ問題・反ユダヤ主義対策省(プロジェクト・ディレクター)
  3. 随行心理士
  4. イディット・オヘル / ロネン・オヘル
  5. ヤコブ・アルガマニ / ラヴィッド・オハッド
  6. サソン・エズラ・ゼカリヤ / エラ・ゼカリヤ

人質となっている家族の背景

イディット・オヘル(49)さん – 拉致されたアロン・オヘル(22)さんの母

才能あるピアニストのアロン・オヘルさんは、友人らとイスラエル南部で砂漠の音楽祭スーパーノヴァに参加するため、ハマスの攻撃が展開されるわずか1時間前の午前5時半に会場に到着した。

攻撃が始まると、彼らは車で逃げようとしたが、武装集団があらゆる方向から発砲してきたため、引き返さなければならなかった。避難場所を求めて、野外にあるシェルターに逃げ込んだ。オヘルさんが家族に最後にメッセージを送ったのは午前8時8分だった。

友人の一人はシェルターに投げ込まれた複数の手榴弾を投げ返したが、最後の一つが手の中で爆発して死亡した。その後オヘルさんがテロリストに拉致されるのが目撃されている。現場に落ちていた彼の携帯電話が生存者の一人に拾われ、後にソロカ病院に運ばれた。軍はその後、オヘルさんがガザに人質に取られたことを確認した。

ヤコブ・アルガマニ(68)さん – パートナーと共に拉致されたノア・アルガマニ(26)さんの父

ノアさんは一人娘で、ベングリオン大学の情報システム工学科の学生。

家族との夕食を囲んだ翌10月7日(土)の早朝、パートナーのアヴィナタン(30)さんや他の友人数人と、車でレイムでのパーティに向かった。

サイレンが鳴り始めると、彼女は自分の姿をライブで撮影し、自分とパートナーが野原に隠れている写真を送ってきた。午前9時30分、彼女は父親に「私たちは大丈夫、後で連絡する」とメッセージを送ってきた。午前10時30分、彼女は電話に出たが、話すことはできず、位置情報はガザ方面に向かっていた。午後12時には、彼女が閉ざされた場所で水を飲んでいる動画が届き、午後1時には、世界中に配信された、誘拐された際の動画が届いた。

サソン・エズラ・ゼカリヤ(62)さん – 姪のエデン・ゼカリヤ(28)さんが拉致された

リション・レツィオンに住むエデン・ゼカリヤさんは10月6日(金)の夜、パートナーのオフェクさん、友人のリブナットさんとライムで開催された音楽祭に出かけた。翌朝6時頃、彼らは疲れたので帰宅の途についたところ、キスフィームの辺でテロリストの検問所に遭遇、その最中に父親に電話をし、「パパ、銃撃されている、私の犬たちをよろしく」と言い、連絡は途絶えた。

リブナットさんは救急車を呼び、エデンさんが意識不明であることを伝えた。オフェクさんとリブナットさんは、テロリストが車に近づくと逃げることに決め、茂みに隠れて4時間待った。その後、オフェクさんは軍隊が到着したと思い、外に出て殺害された。リブナットさんは負傷したが、隠れ続けた。

その日、エデンさんの父親が彼女を探しに行ったが、車は見つからず、彼女は行方不明となった。17日後、イスラエル国防軍は彼女が誘拐されたと発表した。