夏、地中海岸のテルアビブは湿気も多く、その暑さは息苦しい。海抜700メートルの丘の上にあるエルサレムですら、乾燥しているとはいえ、やはり暑いときは暑い。砂漠からの熱い空気がイスラエルの上空を覆う日、空は銀色にかすみ、視界は悪く、空気は全く動かない。40度なんていう温度で、どうして人間が暮らせるのだろうかと、よく自問自答したものだが、40度以上の日が永遠に続くわけではなく、地中海から冷たい風が吹き込んで、上空の熱い空気を追い出してくれれば、また快適な日が続く。快適な日のエルサレムは日中がせいぜい30度まで、夕方は20度程度まで下がり、しかも湿気が少ないので、実に過ごしやすい。

この間、日陰で44度という暑さを体験した。オーブンの中に入っているという形容がピッタリ。路上にフライパンを置いて卵焼きを作っているシェフの様子がテレビで映され、脳の専門医師が、脳が「煮える」という表現を使っていた。水分が多い脳は熱にも敏感に反応するらしい。頭痛、注意散漫、意識朦朧など熱射病のような症状は誰でも起こる。

こんな日には誰も表に出ない。いつもは渋滞のある道も突然ガラガラになる。仕事をしても頭は動かない。この熱を逃れるのはエアコンのある仕事場か、石造りの家。イスラエルの家の多くは石造りである。家の外側が石で覆われているばかりでなく、内装も石なのだ。天井や壁は石灰を塗った白壁、床は大理石のタイル張り。家の中に水をまき、裸足で歩くと気持ちがいい。暑い日に間違っても窓を開けてはいけない。元々こういう日には風は吹かない。それに外の温度が高い日には、厚い石の壁が熱を遮断し、中の空気を冷ややかに保つ。

空気が乾燥しているので、水を一日10リットルは飲むようにとの宣伝がテレビで流れる。飲まねば脱水症状になる。汗をかかなくても皮膚から水分が蒸発してしまう。若いころは感じなかったが、年を重ねると、こういう日にはエネルギーが空気に吸い取られていくように感じる。 特に体の小さい赤ん坊は脱水症状になる危険が高い。

もう30年近く前、私が初めての赤ん坊を育てていたころ、異常乾燥の日が続き、イスラエルの友人から水でぬらした厚手のバスタオルをベビーベッドの柵にかければよいとのアドバイスをもらった。果たして、水も滴るタオルはほんの一時間ほどで、床に置けば、そのままの形で突っ立つほどカラカラに乾き、乾燥のものすごさに感心してしまったことを覚えている。

石の家にはそれ以外にも利点がある。掃除をするのが簡単だ。絨毯をベランダに干している間に、水を床にまき、モップでふき取ったり、ゴムヘラで水をベランダに流し出す。特に暑い日は空気が乾燥しているので、少々水が残っていてもかえって空気に湿気を加えることになるし、10分と水は残らない。 子育てで言えば、石の家で子供を育てることは快適だった。

子供が、家の中を三輪車で走る、サッカーをする、などの無茶をしても、親の私は顔色さえ変えない。壊れそうなものさえ出しておかねば、壁にしろ天井にしろボールがあたった程度ではびくともしない。トイレ・トレーニングの時期には、パンツなしで歩かせたものだ。誤っておしっこをしてしまえば、さっとふけばいいだけだし、子供は自分のしている状態を的確に認識でき、実にすばやくトイレに行くことを覚えてしまった。

日本でなら、子供が吐いたりすれば、染み込んだ場合のにおいのことを考えて、吐いた子供より、吐いたものの処理を優先してしまうこともある。だが、石の家でなら、とりあえず子供の世話をして寝かしつけてから、吐いたものの処理をしても全く痕跡は残らない。確かに、頭を床にぶつければすごい音はするし、すぐに物は割れる。それでも石の家のおかげでずいぶん楽な育児体験ができたと思っている。石の家には砦の持つ安定感がある。

いずれにしても、暑い日には窓を締め切り、ブラインドを閉め、大理石の床に素足を置き、ひそかに息を殺して、熱い空気が冷たい風に吹き飛ばされる日を待つ。

参照

  • 「月刊イスラエル」2004年8・9月合併号に掲載

著者プロフィール : 辻田 真理子(つじた・まりこ)

1971年同志社大学を卒業し、ヘブライ大学留学。テルアビブ大学、ヘブライ大学で日本の政治と現代史を教える。2007年帰国し、現在伝道師。