今年(2000年)のユダヤ新年は9月30日。ユダヤ暦は陰暦なので、毎年お祭りの日時は変わる。今年はちょうど安息日と重なるので、安息日の祈りに新年の祈りが加わる。

いつもの安息日と違うのは、安息日に唱う歌をこの日は唱わないことと、パンの祝福の時にかける塩が、お正月には蜂蜜になることぐらいだろう。日本でお正月といえばお餅になるが、それに当たるのがリンゴと蜂蜜。丸くて甘い年になるようにとの願いが込められている。

ザクロは甘いだけでなく、たくさん実ることから権利が増やされるようにとの意味をもつ。

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お正月の儀式もアシュケナジーとスファラディでは異なる。アシュケナジーは儀式性を持つ食べ物はリンゴと蜂蜜、ザクロぐらいだが、スファラディでは祈りにあわせて語呂合わせの食べ物を用意する。

たとえば、新しい年に尻尾ではなく、頭になれるようにと、魚の頭や羊の脳味噌を。神が敵を散らされるようにと、ビーツ(=セレクは散らすと言う言葉に音が似ている)や、ほうれん草(=テレッドは降ろす)、ネギ(=クラシャは倒すのカレットと語呂合わせ)、ナツメヤシ(=タマルは敵を滅ぼすタムとかけ言葉)を。権利、子孫、財産を殖やすという意味では、ザクロ、魚、豆、かぼちゃ、丸く切った人参などが使われる。

ちょうど日本のお節料理の黒豆や数の子、ごまめなどを思い出させる。

日本は農耕民族だったので、たたきゴボウや豆などで、我慢強さやまめさを強調するが、常に闘いの中で生き残ってきたユダヤ民族のお節料理には、敵を倒し、守られるようにとの願いが強く反映されているのが印象的だ。

今年は新年の正餐に、宝石商のザハリアさんから招待を受けた。ご家族とはもう三十年近いおつきあいになる。学生時代にアルバイトをさせてもらっていた。

真珠の玉を一つずつ結んで留め金をつけ、ネックレスを作る仕事だ。玉が動かないようにきちんと結ぶのに技術がいり、最初は何度も失敗をした。そのとき教えてくださったのが、奥さんのハヤさん。一見無愛想なのに、つきあってみるととても暖かい面倒見のよいおばさんだった。

日本では真珠のネックレスなどと無縁の生活だったのに、遠く離れた国で日本の特産品を扱うのも妙な巡り合わせだった。当時一本作ると砂糖一キロ買える工賃だったが、勉強の合間に家で好きな時間に内職ができ、学生の私にはとても有り難いバイトだった。

そんな関係で、ザハリアさんの子供たちがまだ小学生の時、日本紹介の講演を頼まれ、何度か小学校を訪れたことがあったが、当時イスラエルにはまだ日本人が少なく、子供たちがクラスの友達に「本物の」日本人を知っていると自慢していたものだった。

そのザハリアさんの子供たち四人もそれぞれ家族を持ち、現在三代目がすでに十三歳。今日はそのうち三人の家族、計十六人が集まった。

ザハリアさんはアシュケナジー系。だから、例年はリンゴと蜂蜜、それにザクロと魚くらいしか正月独特のもの用意しないそうだ。

だが、日本人の私がくるということで、奥さんの友達が特別にスファラディの儀式で食べる「お節料理」を作って持ってきてくれ、いつもより「記念」の食べ物が多く並べられることになった。

メインの食事はまず、鯉の腹の部分にユダヤ料理のゲフィルテ・フィッシュ(魚のすり身にタマネギ、ゆで卵などを加え、スープで煮たもの)を詰めた姿煮、野菜たっぷりのチキンスープ、チキンのグリル、子牛のシチュー煮、タンの煮込み、肉団子、人参甘煮、三度豆の入った御飯、トマトと松の実のサラダ、レタス・サラダ、などなど。

「お節」よりも普通の料理についつい手がのびてしまうのは、日本と同じだ。

参照

  • 「月刊イスラエル」2000年8月号に掲載

著者プロフィール : 辻田 真理子(つじた・まりこ)

1971年同志社大学を卒業し、ヘブライ大学留学。テルアビブ大学、ヘブライ大学で日本の政治と現代史を教える。2007年帰国し、現在伝道師。