1月1日に「あけましておめでとうございます」とは、すんなり行かない国もある。日本は明治以来、多少の季節感を犠牲にして、旧暦を「西暦」に統一した。だからお正月は1月1日だけで当たり前だが、世界にはまだまだ2つの暦を併用している国もある。イスラエルのテレビですら、2月ごろには中国のお正月の様子をニュースにする。

イスラム諸国がイスラム歴にのっとってお祭りを祝っていることは周知のことだ。イスラエルでは「西暦」は厳密に言えばキリスト教暦なので、当たりさわりのないところで「Common Era」とか「市民暦」とか呼ばれる。公式文書などには「市民暦」とユダヤ暦の日付が併記してあるし、手帳やカレンダーにも両方の日付が記載されている。ユダヤ暦はユダヤ教の祭りや記念日を数える基準となるし、季節の移り変わりをより的確に表す。安息日やお祭りを厳守していない人々でも、誕生日は西暦で祝いながら、やはり「成人式」になるとユダヤ暦での誕生日を基準にすることが多い。

さて、そのユダヤ暦の新年だが、聖書には第7の月(ティシュレイ)の第一日と出てくる。新年なのに第7の月というのも、感覚的には不思議であるが、ユダヤ暦の第1の月(ニサン)はもともと王の治世を数えるときの起点であった。しかし、一年が新たになるのはあくまで第7の月(9月か10月ごろ)。新年の祝福のカードを送り、神が「命の書」に名を刻んでくださるようにと、「よい署名を」という挨拶が盛んにされる。ティシュレイの月には正月、第10日には大贖罪の日、数日後には1週間つづく仮庵の祭りと大きな祭日が連続し、家族・親族が集まって本格的お祭りモードに入る。

そんな祭りが終わって3ヶ月も経たないうちにやってくる「1月1日」だから、インパクトが少ないのはどうしようもない。学校も仕事も何もなかったかのように、普通どおり。12月31日も1月1日も何の変哲もない日になってしまう。やれ、お歳暮だ、年賀状書きだなどと「師走の忙しさ」を大いに楽しみ、おせち料理の準備にふらふらで、やっとのことで年越し蕎麦を食べながら、除夜の鐘を聞く。明けた次の朝は冷たく、すがすがしく晴れて、新しい年のさわやかな空気を吸い込む。こんな季節感を味わってきた私のような「日本人」には、何年経ってもこの普通の日に慣れるのは難しい。

そうなると、できるのは自分で「正月」を演出すること。変哲もないアパートのドアに、門松もどきの飾りをかけ、玄関ホールにある棚の上には、日本滞在時に集めた結婚式用などの水引の飾り物の中から松竹梅、鶴亀などのおめでたいものを選んで並べる。やり方によっては現代風なアレンジもできる。おせち料理も少しは用意する。今ではイスラエルにもアジア系の専門食品店ができ、醤油をはじめ、味噌、だしの素、のりやしいたけなども手に入るようになった。

だが、20年ほど前、子供が小さかった頃には、ほとんど材料がなかった。それでも、黒豆に似た豆はじっくり炊き込み、イスラエル産サツマイモは少しオレンジ色のキントンンイに変わる。小鯛で尾頭付の飴煮を作り、魚のすり身と卵で伊達巻。大振りのラディッシュも赤い皮をむけば白い大根になり、柿の代わりにナツメヤシの実とニンジンを合わせてなますができる。ニシンの酢漬けも腹の硬いものを探すと、ほぼ90%の確率で数の子が出てくる。田作りやたたきごぼうは無理だが、最低限の祝い膳は何とか整えることができた。

子供がいると、少数民族の自己保存本能とでも言うのだろうか、日本の伝統や文化を伝えなければという気分になるのが、自分でも不思議だった。

ごく普通のはずの1月1日、大学に行くと学生たちが「新年おめでとうございます」と挨拶してくれた。さすが東アジア学科だ。

というわけで、読者の皆様にも謹賀新年。新しい年が皆様には躍進の年、世界では少しでも平和に近づく年となりますように。

参照

  • 「月刊イスラエル」2008年1・2月合併号に掲載

著者プロフィール : 辻田 真理子(つじた・まりこ)

1971年同志社大学を卒業し、ヘブライ大学留学。テルアビブ大学、ヘブライ大学で日本の政治と現代史を教える。2007年帰国し、現在伝道師。