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日本イスラエル親善協会(JIFA)はことし創立50周年を迎える。この半世紀の間、イスラエルと同国をとりまく中東情勢は目まぐるしく変わった。イスラエル・中東外交に長年かかわり、2011年から14年まで駐イスラエル大使をつとめた佐藤英夫氏にその分析や立ち会った歴史の「その時」について話を聞いた。(JIFA業務執行理事 二階宗人)

和平や社会矛盾… 「国の姿」を考える時

二階 最初にイスラエルを訪れたのが1977年、まさに半世紀をイスラエルとともに過ごしてきたわけですね。

佐藤 1977年はそれまで敵対してきたエジプトのサダト大統領がイスラエルを訪問し、イスラエルが大きく変わった年でした。一番希望に輝いたときかも知れません。

二階 当親善協会との出会いもそのころでしょうか。

佐藤 ええ、春日一幸会長がイスラエルを訪問した折です。テルアビブでお世話をしたのを覚えています。

二階 外務省に入省した直後から、イスラエルではさまざまな出来事が起きました。

佐藤 そうです。現地の大使館で最初に手がけた大きな仕事が1982年のイスラエルによるレバノン侵攻について情報を収集することでした。

二階 1988年に宇野宗佑外相がイスラエルを訪問します。

インタビューに答える佐藤元大使
インタビューに答える佐藤元大使

佐藤 日本の外務大臣として初めてでした。アラブ諸国が石油戦略を発動して以降、鳴かず飛ばずのようになっていた両国関係が政策転換したという重要な意味をもちます。翌年、アレンス外相が訪日して両政府による定期的な協議フォーラムが立ち上げられ、密なコミュニケーションが可能となりました。10年ほどたって、イスラエルの代表団長が「両国間の問題は問題がないことだ」と語ったのが印象に残っています。

二階 労働党が政権をとり、ラビン首相が誕生すると1993年にイスラエルはPLOとの暫定自治宣言いわゆる「オスロ合意」に調印します。

佐藤 その時はワシントンに駐在していたのですが、その後イスラエルに戻った1995年の11月、ラビン首相がテルアビブで開かれた平和集会で過激派の青年に暗殺されます。日本から来た太鼓の催しがあって、このとき私は事件現場から1キロメートルのところにいました。パトカーのサイレンがけたたましく鳴っていたのを覚えています。ラビン首相を失ったという喪失感は大変大きなものでした。イスラエルはひとつの大きな転換を迎えたと思います。その後、また右派が政権をとり、ナショナリズムや宗教右派が伸長することになります。

二階 日本との関係をみると、自衛隊が国連PKO活動の一環としてゴラン高原に展開するUNDOF国連兵力引き離し監視軍に派遣されました。

佐藤 1996年です。部隊の受け入れの準備に携わり、この年本省に戻って最初のポストはPKOを担当する部署でした。そして日本が撤収したときは、今度は現地の空港で部隊を見送りました。国際社会への日本の貢献の一端に最初から最後までかかわることができて感慨無量です。

二階 2006年には小泉純一郎首相がイスラエルを訪問して、ジェリコに農産物加工団地を建設する「平和と繁栄の回廊」構想をイスラエルやパレスチナ自治政府に提示しています。

佐藤 小泉総理大臣とオルメルト首相との会談に同席したのですが、たまたまイスラエル兵士の拘束事件が発生していて、会談の最中にその状況を知らせるメモ書きがオルメルト首相にたびたび手渡されました。慌ただしそうなので小泉総理が会談を切り上げようとすると、オルメルト首相が「せっかく日本から来られたのです、続けましょう」と語ったのが印象的でした。

二階 そして2011年に今度は大使としてイスラエルに赴任されました。

佐藤 4回目の勤務でした。最初の在勤時代と比べると道路網は整備され、高層ビルがたちならび、本当に豊かな国になった。その反面、貧富の格差が拡大しました。またユダヤ教を篤く信じる人びとと世俗主義的な人びととの確執も目立つようになっています。

二階 イスラエルと四半世紀以上かかわって、今どんな思いをもちますか。

佐藤 イスラエルは大きく成長しました。しかし、その占領地政策をこのまま継続することはできません。安全保障が第一であることは当然としても、どう和平を達成できるのか、また国内では様々な社会矛盾が表面化しているなかで、今後、将来とどう向き合っていくのか、どういう国をつくっていくのかを真剣に考えなければならない時がきているように思います。

二階 ありがとうございました。

佐藤英夫氏 外務省参与。テルアビブ大学で西洋古典学を学び、1982年に外務省入省。外務省中東アフリカ局中東第一課長、アフガニスタン大使、バーレーン大使を歴任して2011年より2014年までイスラエル大使。その後、特命全権大使(文化交流担当)を務めた。