新年のことを、ヘブライ語で「ローシュ・ハシャナ」(年の頭の意)といいます。以下ではローシュ・ハシャナと呼びます。
旧約聖書のレビ記23章には、神からモーセが命じられた祝祭日の一覧が載っています。実はレビ記のその箇所には、新年という言葉で出てきません。何と言っているかというと、「第7の月1日をあなたの安息の日とし、角笛(ショファール)を吹き鳴らして記念する聖なる集会の日としなさい」とあります。この第7の月1日がいま、ローシュ・ハシャナとして祝われる日です。
週の7日目が安息日で聖なる日であるように、月の第7番目は1年のうちで聖なる月だとされるわけです。同様に、年についても7年目は安息年であり聖なる年と見なされます。
ここで、聖書に言う第1の月は過越し祭のあるニサンの月で、4月頃に当たります。ユダヤ暦の月の名称(No.1 ~ユダヤの祝祭日~)は、聖書時代以後、バビロン捕囚の間に現地から借用したものです。第7の月は、ティシュレーといいます。
レビ記23章には、「第7の月の10日は贖罪日である」とあります。ローシュ・ハシャナから10日目に贖罪日(ヨム・キプール)が来ます。聖書には、1日と10日を特に結び付けていませんが、ユダヤ教では暦のうえで、この10日間を特別な日々と見なしてこの期間を一体に考えています。そして「畏れの日々(ヤミーム・ノライーム)」とか「裁きの日」とか言われます。
この祝祭日は、他の祭日と違って、歴史の出来事や農業の祭日とは関係のないのが特徴です。例えば、過越し祭(ぺサハ)は、出エジプトの出来事を記念しますし、また春の祭りとして大麦の収穫を祝います。秋の仮庵の祭り(スコット)は、出エジプトの荒野の天幕生活をしのび、また収穫感謝の歓喜の祭りでもあるわけです。ところが、新年から始まる10日間は、自己を点検して内省し、神の前に悔い改めの時を過ごすという、純粋に宗教的な祝祭日なのです。