イスラエルの開拓の歌として有名な歌のひとつに、シール・ハエメク(平原の歌)という歌があります。

イスラエルに音楽家の取材で滞在していたときのことです。私は取材の合間にギタリストのオーリー・ハルパズさんのギターのレッスンを受けていました。そのレッスンの終わりに、彼は「ヨシヤ、『シール・ハエメク』という曲を教えてあげるよ。この歌はイスラエルのとってもいい曲だよ。ちょっと弾いてみるね」と言ってその場で弾いてくれました。

私は目を閉じてオーリーさんのギターを聴きました。レガートなメロディーを聴いているうちにエズレル平原の映像が目に浮かんできました。

1番

疲れた者に安らぎが、
働き人に休息がやってくる
青白い夜が、エズレル平原の
畑の上にひろがっていく
ベイトアルファからナハラルまで
下には露が降り、上には月が照る

(繰り返し)

いったい夜ごと何が起きるのか
静寂がエズレルをつつむ
おねむりなさい平原よ、麗しき地よ
わたしたちがあなたの見張り役だから

2番

畑の穀物は波のように揺れ
家畜の群れの鐘の音が鳴り響く
これがわが大地とその沃野
これがエズレル平原なのだ
ベイトアルファからナハラルまで
わが大地よ祝福されよ そして誉れを受けよ

3番

ギルボアの山を闇がおおい
馬は影から影へと駆け抜ける
エズレルの野から悲鳴が高く上がった
ベイトアルファとナハラルの間で
誰が撃ち、誰が倒れたのか?

イスラエル開拓時代の数少ない貴重な歌

もともとこの歌はダニエル・サンブルスキーが「レハイーム・ハダシーム(新たな人生に)」という映画のために作曲しました。この映画は1934年イスラエルでの人々の生活を描いた作品です。

映画にこの歌の作曲者ダニエル・サンブルスキーが登場し、キブツでピアノを弾きながらこの歌をキブツの人たちに教えています。その後彼らは馬を引きながらあるいは洗濯物をたたみながらこの歌を歌い、次第に有名になっていきました。

エズレル平原

エズレル平原(写真提供 : 著者)

この歌の1番と2番の歌詞には当時のエレツイスラエルの風景がよく伝わってきますが、3番に入ると少し様子が変わります。

「ミー・ヤラー(誰が撃ったか)コール・ゼアカー(悲鳴)」とあるように人々が叫んでいます。1933~1936年という時代はアラブ人の襲来が頻繁に勃発する時代だったのです。

イスラエルの開拓時代の数少ない貴重な歌が今も歌い継がれています。

この記事を書いた人

村上義弥
1960年生まれ。1983年~1984年イスラエルに留学し、イスラエル音楽に心惹かれるようになる。1996年、ナオミ・シェメル、エフード・マノール、ドヴ・ゼルツェル氏等、約30名のイスラエルの音楽家を半年間かけて取材。その後も2003~2006年、2008年と続けて音楽家取材でイスラエルを訪問する。またイスラエルのギター奏者の第1人者オーリー・ハルパズ氏よりギターを習得。現在広告代理店勤務。