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エルサレム 嘆きの壁
(写真提供 : 著者)

1番

少女が壁に向って立っていた
唇とあごを近づけた
彼女は私に言った
「角笛の鳴りわたる音は強い
しかし静けさはもっと強い」
彼女は私に言った
「シオンは神殿の丘にある
私に報いと特権について黙している」
そして黄昏時に夕日が彼女の額を照らした
真紅色の大国であった

(繰り返し)

苔と悲しみの嘆きの壁
弾丸と血の嘆きの壁
石の心を持った人々がいる
人の心を持った石がある

2番

彼の小隊の中からただ1人のパラシュート兵が
嘆きの壁の前に立った
彼は私に言った
死には形がない
あるのはたった9mmの銃口だけだ
彼は、「私は泣いていない」と言いつつ
視線を地に落とした
彼は言った。
私の祖父 ~神様の知っている~ は
この近くのオリーブ山に眠っているのです

3番

1人の歩兵部隊の母親が喪服に身を包んで
嘆きの壁に立った
彼女は私に言った
燃えているのは私の息子の瞳で
壁のロウソクではありません
彼女は私に言った
私は壁の隙間にはさむどんな紙切れも書きません
なぜならば嘆きの壁の前に昨日
ささげたばかりのものは
どんな言葉や文字よりも大きいのです

6日間戦争勝利によるエルサレム解放を唄う

この歌は1967年6日戦争直後にリリースされた「ハコーテル」という歌です。

1996年、私はこの歌の作曲者、ヤッフォ在住のドヴ・ゼルツェル氏を訪ねたことがあります。ドヴ氏は「1967年、6日戦争の勝利でのエルサレム解放は、私にとって聖書に書いている奇跡が現に今起こっている。その驚きと感動を曲に表したいと思い、友人の作詞者ヨッスィ・ガムズとわずか数日で作りました。興奮の中から、霊感的にこのメロディーが湧いてきました」と言っていました。

エルサレムの歌は、それ以前はほとんど存在していませんでしたが、このエルサレム解放を機にこの「ハコーテル」や「黄金のエルサレム」をはじめ、たくさんのエルサレムの歌が作られていきました。また以下の歌詞の解説は、この歌の作詞者ヨッスィ・ガムズ氏にインタビューしたものです。

1番の「少女が壁に向いて立っていた。唇とあごを近づけた」とは、直接的には言っておりませんが、壁にキスするためです。この少女の若き主人、あるいはボーイフレンドが6日戦争で亡くなったからです。当時の軍隊の首長ラビ、シュロモー・ゴーレンが大きな歓喜の中で『ツツツ…』と角笛を吹いていました。その角笛の鳴り響く中で彼女は私に言いました。『この角笛の音は非常に強い音です。しかし「沈黙(静けさ)」はその大きな鳴り響く角笛の音よりももっと強い』。すなわち、時に沈黙は、魂からの叫びや身をよじるような悲しみの泣き声を秘めています。そしてその沈黙の声の方が強い。

角笛の音は、「自分たちは勝った、エルサレムを征服した」という勝利の喜びの声でした。しかし沈黙は、たくさんのユダヤ人やアラブ人兵士、両方の側に生命と血が流されたということを言っています。その喜びの背後に、生命をささげ血を流した人がいたということを忘れないで欲しいということです。

黄昏時に赤い夕日が彼女の額を照らしました。その赤紫色を見たときに、紫色は王様の服の色ですが、私はその色を通してダビデ王、ソロモン王のことを思いました。2000年間ユダヤ人が自由に行くことができなかった嘆きの壁に行ける日がついに来た。

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私の世代のユダヤ人にとって、嘆きの壁で祈るということは夢であり、一生体験できないことだと思っていました。しかしその日がついに来て、今その壁の前に立っている。その感激の中、ユダヤが歴史上最も栄えた時代を感じたということ。これが1番です。

繰り返しの部分の「悲しみ」はなぜなのでしょうか。1900年間ユダヤ人は嘆きの壁に近づくことはできませんでした。そして1900年間世界中のユダヤ人は泣き、叫び、祈ってまいりました。『来年こそはエルサレムで!』と言い、ここで祈ることを求めていました。全てのユダヤ人の追憶はダビデ王、ソロモン王の古き良き時代を思ってはなつかしがっていました。「弾丸と血の嘆きの壁」の血というときにユダヤ人の血とヨルダン人の血の両方を意味します。

「石の心を持った人々がいる。人の心を持った石がある」というところは、人でも石のように冷たい心を持っている人もいるが、また時には石の方が人間よりもあたたかい心を持っている。なぜならこの嘆きの壁の石は、あなたがよき聞き手であるなら、何世紀も前からのユダヤ人の歴史について語ることができるということです。

石にもその民族特有の歴史に結びついた特別の石があるということです。この嘆きの壁の石は、何千年もの歴史をもっています。そこらにある石とは違うのです。イギリスのストーンへンジなどは、宗教にかかわらずイギリス人が皆尊んでいる。こういうものの価値を見出すこと抜きに、民族というものは存在しないということです。それがユダヤ人にとっては嘆きの壁、あの石の壁ということになります」。

この記事を書いた人

村上義弥
1960年生まれ。1983年~1984年イスラエルに留学し、イスラエル音楽に心惹かれるようになる。1996年、ナオミ・シェメル、エフード・マノール、ドヴ・ゼルツェル氏等、約30名のイスラエルの音楽家を半年間かけて取材。その後も2003~2006年、2008年と続けて音楽家取材でイスラエルを訪問する。またイスラエルのギター奏者の第1人者オーリー・ハルパズ氏よりギターを習得。現在広告代理店勤務。