美しく若かった母がここへ来たとき
父は丘の上に、彼女のために家を建てた
春は幾度も巡り、半世紀が過ぎ
いつしか巻き毛はすっかり白くなっていた

けれど、ヨルダン川のほとりは
まるで何事もなかったかのように
あの時と同じ静けさ、景色に包まれている
ユーカリの林、あの橋、あの舟
そして水面にはアカザの香りが漂っている

歌手ナオミ・シェメルが母のキブツにおける体験をもとに作曲

「ユーカリの林」という歌はナオミ・シェメルが、1963年キブツ・キネレットの50周年記念のために作曲しました。ガリラヤ湖付近に生い茂るユーカリの林がこの曲のモチーフとなりました。ユーカリの林にはナオミ・シェメルの家族の実話があります。

1925年、ナオミの母リフカはリトアニアからキブツ・キネレットに帰還して来ました。

リフカはキブツの主要な仕事である農業が苦手で、ある夏、トマトを植える仕事を先輩と一緒に作業していましたが、なかなかうまくいかず、先輩から

「あなたはもう植えないで!それでは収穫できないわ!」

と怒鳴られました。

「ごめんなさい…」

リフカは今までになかったほど深く傷つきました。

日が暮れ皆は農園に帰りましたがリフカ一人帰りませんでした。母親のハナは夕方になっても彼女の姿が見当たらないのでとても心配になりました。

「リフカはどうしたのかしら?」

そしてハナは当時リフカの恋人だった、後に結婚するメイールのところに行き、

「メイール、悪いけどリフカを探してくれないかね」
「わかった!思い当たるところを探してみるよ」

もう日が沈んで薄暗くなっています。

「リフカー!!」
「リフカー!!」

彼が必死で叫び、探し回りました。そして、声もかれた頃、ユーカリの林に寝転がって泣いている彼女を見つけました。

「リフカー!」
「あっ… メイール、どうしてここに」
「君のお母さんから探すように言われたんだよ。いったい何があったんだい」

歌詞が伝えるイスラエル開拓の歴史

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ガリラヤ湖のユーカリの木(写真提供 : 著者)

リフカは今までのことをすべて話しました。理由を聞いた彼はその時これからどうしたら良いのかを話し合いました。

結論として農業を学びに行くことに決めました。お金も不思議にハイファに住んでいる夫妻に出会い、
その子供のベビーシッターをすることで、働きながらナハラルに農業を学びに行くことができました。

やがて彼女がキブツに帰ってきた時には最も優れた野菜農家となっていました。

歌詞にもありますように、このユーカリの林はここで半世紀を過ごしてきた母リフカと共に、開拓の歴史を見続けてきたのです。

この記事を書いた人

村上義弥
1960年生まれ。1983年~1984年イスラエルに留学し、イスラエル音楽に心惹かれるようになる。1996年、ナオミ・シェメル、エフード・マノール、ドヴ・ゼルツェル氏等、約30名のイスラエルの音楽家を半年間かけて取材。その後も2003~2006年、2008年と続けて音楽家取材でイスラエルを訪問する。またイスラエルのギター奏者の第1人者オーリー・ハルパズ氏よりギターを習得。現在広告代理店勤務。