1番
あのゴランの山々に
手を伸ばして触れてごらんなさい
確かな静けさの中でこう命じるでしょう
「止まれ!」と
年老いたヘルモンは
孤高の内にまどろみ
その純白の頂からは
寒さが舞い降りてくるのです
湖畔には、幹の垂れさがったヤシの木が生い茂り
その枝先は、まるでやんちゃな幼な児が
湖面で足をバタつかせるように
水面を揺らすのです
2番
冬には辺り一面に
なんと多くの花が咲くことでしょう
まっ赤なアネモネや、黄金色のクロッカスが
草木の緑が何倍にも濃くなるとき
空の青さが何十倍にも増すときがあるのです
たとえ私が衰え、かがんであるくようになり
心がちぢに乱れるようなことがあっても
あなたを裏切り
若き日の純情を忘れることなどできるでしょうか?
ああ、ゴランの山々よ……
世界でいちばん美しいところ、それは竪琴の形をしたキネレット(ガリラヤ湖)
歌詞は詩人ラヘル(1890―1931)の作品からです。
そしてこの詩にナオミ・シェメルが作曲しました。ナオミ・シェメルは、「黄金のエルサレム」を作詞作曲したイスラエルの国民的音楽家です。
ナオミ・シェメルは言います。「世界でいちばん美しいところ、それは竪琴の形をしたキネレット(ガリラヤ湖)です」。
キネレット湖畔の開拓村に入植した詩人ラヘル
詩人ラヘルはナオミと時期は違いますが、キブツ・キネレットに住み、同じ風景を見て過ごしました。
ラヘルは、19歳のときロシアよりイスラエルに帰還し、ガリラヤ湖畔の開拓村に入植しました。詩、絵など多くの才能に恵まれていた彼女ですが、27歳のとき結核を患い、やむなくテルアビブに隔離される事になりました。
キネレット(ガリラヤ湖)から離れて住むことは、彼女にとって辛いことでしたが、それ以上に彼女が心を痛めたのは、親しかった友人たちまでもが、彼女を助けず、「シャローム」という言葉さえかけることなく、彼女から離れていったことでした。
2番の歌詞にはその時の心情が書かれています。『たとえ私が衰え、かがんであるくようになり、心がちぢに乱れるようなことがあっても、あなた(キネレット)を裏切り、若き日の純情を忘れることなどできるでしょうか?』
病床でもキネレットを慕い続ける
ここに歌われているように、ラヘルはテルアビブで貧しさと孤独の中に過しましたが、そんな中でも多くの詩を書き、キネレットを慕い続け、若き日に過した日々を決して忘れませんでした。
ラヘルは1931年に亡くなり、キネレットの湖畔の墓地に埋葬されました。
ナオミ・シェメルは最後に言いました。
「私はラヘルの詩の中で育ったようなものです。この歌は私の心に近い歌なのです」と。
この記事を書いた人
- 1960年生まれ。1983年~1984年イスラエルに留学し、イスラエル音楽に心惹かれるようになる。1996年、ナオミ・シェメル、エフード・マノール、ドヴ・ゼルツェル氏等、約30名のイスラエルの音楽家を半年間かけて取材。その後も2003~2006年、2008年と続けて音楽家取材でイスラエルを訪問する。またイスラエルのギター奏者の第1人者オーリー・ハルパズ氏よりギターを習得。現在広告代理店勤務。
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