イスラエルでは公園デビューをしても、子供の母親とママ友達になれる訳ではない。 子供を連れて来ているのが実の母親ではなく、ベビーシッターだからだ。
イスラエルは夫婦で働いている家庭が多く、子供の公園遊びにつきあうのはベビーシッターの仕事なのだ。 アルバイトでやることも多く、20歳位の女性が5歳3歳1歳の3人の子供をいつも遊ばせているので、聞いてみると大学生アルバイトだという。
シッターは家政婦さんが兼務することも多い。フィリピン人女性が白人と黒人の子供二人のシッターをしていて、彼女はいわゆる出稼ぎの家政婦さんで、白人の子供はその家の実の子でもう一人の黒人の子は養子なのだと言う。公園で遊んでいる大人と子供に血縁関係がないばかりか、子供同士も実の兄弟ではなかったりして、当初はその多様さにとても驚いた。
私と6歳の息子の取り合わせなどは、どう見ても親子と思うのだが、私がシッターかどうか確認されることも時々あって、公園で実の親子で遊んでいる我々の方が珍しがられることもあり変な感じでもあった。
ところで、現在のイスラエルの首相はネタニヤフ首相だが、彼は今回2度目の登板。前回就任は1996年の14年前。その頃ネタニヤフ首相の私邸は、偶然にもソコロブ通りの公園をはさんで私が住むアパートの向かいにあった。首相夫人の名前はサラ。彼らには当時二人の小さな子供がいた。
私たちが公園で遊んでいると子供を遊ばせている中年のシッターが、私や他のシッターにしきりに話しかけてくる。自分はベテランシッターで、先週までネタニヤフ首相の子供のシッターをしていたと言う。「なんだ、そこにいる子供たちが首相の子供ではないんだ」とがっかりしたが、彼女はサラ夫人にクビにされたと文句を並べ立てる。
ちょっと太目のいかにもおばちゃんという感じの女性が、首相夫人の家庭内の様子を、家政婦は見たとばかりに公園にいるママさんやシッターに話しまわるのは、住んでいる国の有名人がとても身近に感じられて、またどこの国でも有名人のゴシップを吹聴する人がいるのだと、とてもおもしろかった。
そして家政婦といえば、私は日曜日の午後にタクシーに乗った時、一度だけ運転手さんに、教会の日曜礼拝の帰りの出稼ぎフィリピン人家政婦さんと間違われたことがある。「仕事は辛くないか?」と同情してくれていた。
私は一度だけだが、テニス焼けで顔立ちが東南アジア人風の日本人の友人は、よく出稼ぎ家政婦さんに間違われると言っていた。実際彼女といた時、友人宅の前で車から降りた私たちに、見知らぬイスラエル人の年配の婦人が、突然声を掛けてきた。なんと婦人は私の友人にむかい真顔で「掃除をしてくれる人を探しているが、あなた私の家の掃除をしてくれないか?」と本当にそのセリフを言ったのだ。
横で驚いている私を尻目に友人は少し怒った調子で「あら奇遇ね、わたしも家政婦を探していたの。あなたこそ私の家を掃除してくれる?」と、さらりと逆襲したのだ。すると年配婦人はフンと一言怒って自分の車に乗って去って行った。友人いわく、「失礼だ。相手が東南アジア人と思えば平気でいきなり掃除人になってほしいと声をかける。そういう驕慢が許せない。」と言っていた。
現在日本では東南アジア人の介護士を国として正式に受け入れるため、ひどく難解な日本語試験の受験を義務づけていることが、問題になっている。仕事の内容や社会システムが違うので、比較することはもちろん出来ないけれど、路上で見かけた東南アジア人を突然家政婦にスカウトするイスラエル人のお国柄と比較すると、その大らかさの違いに苦笑してしまう。
そして今のわたしにとっては、公園の中年シッターさんも驕慢年配婦人もとても人間味のある、思い出の中の素敵な登場人物である。
著者プロフィール : 石田 恵子 (いしだ・けいこ)
1995年から1998年まで、夫の転勤に伴いエルサレムに滞在。現在埼玉県在住の主婦。