夕陽が村全体をまっ赤に染めるころ
羊の群れは村道に
埃をまきあげながら帰って来る

まだ遠くにいる羊たちは
鈴を鳴らしながら
陽をあびて長い影を落としている

また夜がやって来た

ダンスの曲として現在も人気がある「エレヴ・バー」

ナタン・シャハル氏
ナタン・シャハル氏(写真: 著者)

私が音楽家取材でイスラエルに滞在していた時のことです。

運よくナタン・シャハルさん(写真)というユダヤ音楽研究家の方に出会うことが出来ました。元ベングリオン大学教授で、ユダヤ音楽の歴史の本なども出版されている著名な方です。

そんな彼が、こんなイスラエルらしい歌があるよ、といって教えていただいた歌が「エレヴ・バー」でした。

少し古い歌ですが、現在でも人気があり、ダンスの曲として踊られています。

そしてそのユダヤ音楽研究家のナタンさんにこの歌について解説していただきました。

ユダヤ音楽研究家、ナタン・シャハル氏による解説

1960年、イスラエル音楽の活性化のために第1回イスラエルソング・フェスティバルが開催されました。

そしてこのフェスティバルで、この「エレヴ・バー」という曲が第1位に輝きました。

この歌の作詞はオデッド・アヴィシャル、作曲はアリエ・レヴァノンです。アリエがピアノを弾いてその場で作曲し、出来上がった曲をオデットが作詞しました。

この歌のテーマは村の羊飼いや、夜の静けさといった牧歌的な風景です。

その当時はロックンロールに代表されるアメリカ音楽が台頭してきた時代でしたので、それに対して異なる価値観を投げかける存在でした。

フェスティバルでは審査委員会が組織され、ヘブライ語の専門家や音楽の専門家もいました。

「黄金のエルサレム」も、フェスティバルで発表された数日後に6日戦争が勃発し、一躍イスラエルの代表的な歌になりました。

この「エレヴ・バー」という歌は時代を超えて歌い継がれ、現在でもダンスの曲として有名です。

この記事を書いた人

村上義弥
1960年生まれ。1983年~1984年イスラエルに留学し、イスラエル音楽に心惹かれるようになる。1996年、ナオミ・シェメル、エフード・マノール、ドヴ・ゼルツェル氏等、約30名のイスラエルの音楽家を半年間かけて取材。その後も2003~2006年、2008年と続けて音楽家取材でイスラエルを訪問する。またイスラエルのギター奏者の第1人者オーリー・ハルパズ氏よりギターを習得。現在広告代理店勤務。